たつこころかたよる

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『カメラを止めるな!』の感想文 ~舞台上から伸びる見えざる腕~

 

お久しぶりです。あけましておめでというございます。4ヶ月ぶりくらいですかね。
典型的三日坊主でーーーーーす。いぇーーーーーい。

 

早速本題に入ります。
カメラを止めるな!』を見ました。3月8日に金曜ロードショーで放送された……のを見逃したので、金ロー見逃しヒューマンたちで翌日の夜に鑑賞会を開きました。
視聴済みが2人、初見が2人の4人で見ました。
アマゾンプライムで500円で借りられるからみんなで楽しもう。

 

今更説明するまでもないので『カメラを止めるな!』の概要の説明は割愛します。
ぐぐると私より詳しいWikipediaとか出ると思うのでそちらをどうぞ。

 

以下本文。バリバリのネタバレ。

 

 


いやーーーーーーー面白かった。
こういうの泣いちゃうよ……私は泣きました。
コンテンツ作るの大変なんだなって……思いました。

 

もうすぐ終わろうとする平成の時代。
デジタルの発達目まぐるしく、時代は掲示板から個人サイト、レンタルブログ、さらにSNSへと発展していきました。
プレステは4まで発売され、もはや現実の映像と遜色がないのではないかというほど発達したグラフィックが売り物になっていきました。

 

フィクションはリアルへと食らいつき、人々は当然のようにコンテンツへ没入感を求めるようになりました。
同時に、製作者そのものとの距離も近づいた時代です。
TwitterFacebookでは公式のアカウントが立ち上げられ、制作の様子や宣伝が定期的に行われてしますし、Twitterでバズった漫画は最終的に出版社から発売されるような時代になりました。
生産者と消費者の壁は薄くなり、あるいは昨日までの消費者が今日は生産者になるような、そんなインターネットドリームも見られるようになりました。

 


カメラを止めるな!』はそんな時代だからこそ、生まれたような作品なんじゃないかと思います。

 

物語はなんとも言えないクオリティのB級ゾンビ映画の撮影をしている、というところからスタートします。
B級ゾンビ映画の撮影をしていたら本当のゾンビがやってきた、という設定の番組を撮影することになった監督とスタッフたちの物語です。

 

言葉で説明しようとするとなんのこっちゃ、って感じになるんですけど見ると一発で理解出来るようになっています。良く出来てる。

 

誰もが断るような無茶振りの撮影を断れない、なんとも気の良さそうな監督を囲むのは、映画キャラよりもアクの強い役者とスタッフたちです。
もはや数えるのも恐ろしいほど撮影中止の危機に見舞われながら、ワンカット生中継のゾンビホラー番組の制作に挑むことになります。
 
観客が最初に見せられたワンカット映像のその裏側では、一体何が起きていたのか。
前半のワンカット映像で覚えた違和感のフラグが後半で回収されていく、その楽しさたるや。
勢いで貫いていくジェットコースターのようでありながらも、1から10まで計算された物語は美しさすら感じさせます。

 

前半ワンカット映像の演技や絶叫は、台本として設定されていたものと、撮影トラブルによるアドリブが混在しています。
後半の映像で、撮影監督が家庭的で優しく、アクの強すぎる制作陣の中で胃を痛めてそうな場面を見ている観客は、もはやヒーローショーの子どもよろしく、監督を応援するようになることでしょう。私はしました。

 

舞台用語に『第四の壁』というものがあります。
舞台という部屋にある想像上の透明な壁であり、舞台上の虚構と、客席側の現実を隔てる見えない概念のことです。

 

この映画は前半で『第四の壁』越しに物語を眺め、しかし後半では『第四の壁』の向こう側、さながら舞台袖から物語を見守ることになります。
観客であったはずなのに、いつしかスタッフのひとりとして舞台を見守っている。
その瞬間に、この映画における虚構と現実は破壊され、かき混ぜられ、とてつもない没入感を発するようになるのです。

 

観客は観客であったときに知っています。この番組は成功を納めて終わることを。
しかしその裏側で、どのようなハプニングがあったのか。
それを知った時、ただの安いB級ホラー映画であったはずの前半の映像が、とんでもない味わいを持ったコメディに昇華されていきます。
その変化する瞬間の、パズルのピースがハマっていくような快感。

 

作中、印象的に問いかけられる言葉があります。

 

「作品として完成させる以前に、番組として成功させないといけない」

 

虚構の完成より現実の達成が必要である、と伝えてきます。
しかし最終的に生まれた番組は、虚構と現実がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた、とても曖昧な存在でした。
さも『第四の壁』を壊された観客の観念のように。

 


この映画を見終わって、また最初から見る時。
そのときには、ワンカット生中継の裏側を全て知っていることになります。
そうしてきっと、観客であった人は語りたくなることでしょう。
さも、当時撮影に参加していたスタッフであるように。

 

「ああ、このときは撮影の裏でこんなことがあったんだよねぇ」と。

 

そうやって、見えない腕により観客であった自分が舞台上へ引きずり込まれる瞬間こそ、この映画の醍醐味なのだろうと思います。
何度だって見て、誰かに話したくなるような、とても素敵な映画だと思いました。

 

 

とりあえずもっかい見ます。

 

 

 

カメラを止めるな!

 

カメラを止めるな!

カメラを止めるな!